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角田柳作

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角田柳作


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角田柳作の肖像写真
 

角田柳作 ドナルド・キーン氏の師、日本学の先生

 角田柳作は1877年(明治10年)群馬県勢多郡津久田村(現渋川市赤城町津久田)に父庄作、母ぎんの次男として生まれる。柳作5歳の時、父をコレラで亡くし、祖父、母、兄により養育される。

 前橋中学(現前橋高校)から早稲田大学文学科をを1896年(明治29年)卒業、坪内逍遥等の教えを受け、宗教特に仏教に関心を持つ。卒業後、徳富蘇峰の国民新聞社に入社し校正を担当しつつ、井原西鶴に興味を持ち西鶴研究の本を20歳で著わす。その後出版社を経て、京都真言宗聡合高等中学、福島中学校、仙台第一中学の教諭を経て、1909年(明治42年)ハワイに渡り、本願寺ハワイ中学校長に就任、病気のため一時日本へ帰国、回復後ハワイの新聞社記者、本願寺派ハワイ教団の学務部長を歴任した。

 1918年(大正7年)コロンビア大学の聴講生、コロラド日本人会書記長から1919年にはニューヨーク日本人会幹事就任、1921年(大正10年)にはニューヨーク日本人会書記長就任、ハワイから
家族合流、米国の排日運動の記事を大阪朝日新聞に連載をする。1926年頃より「日本文化学会」実現に向け奔走、資料収集、資金募集のため、米国、欧州、日本を視察、奔走する。1929(昭和4年)年コロンビア大学の受け入れが決定、日本文化学会の開館、岩崎小弥太の支援を得る。日本文庫への蔵書寄贈を呼びかける。昭和16年頃ロナルド・キーン氏は日本文学の講義を受け日本学研究にのめり込んでゆく。

 1941年(昭和16年)12月太平洋戦争勃発により、FBIにより拘引エリス島に連行される、翌3月釈放、日本への送還は断わり、ハーバード大学グループの日本文化調査に参加、1,945年11月監視解除、戦後ミシガン大学、コロンビア大学、で講義を持つ、1960年日本政府から勲三等瑞宝章を授与される、1962年コロンビア大学名誉文学博士号を授与される、1964年11月29日ハワイ滞在中に死去した。

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