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河合継之助

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俗称・筆名 河合継之助
本名 河合継之助
生誕 1827年(文政10年)
死没 享年41歳
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河合継之助:ウイッキペディアより
 

河合継之助 長岡藩家老

 河合継之助は江戸末期の1827年(文政10年)長岡藩の武士の家に生まれる。司馬遼太郎の小説『峠』の主人公として紹介され、脚光を浴び、多くの人に知られるようになった。江戸に2度遊学し佐久間象山や古賀謹一郎の久敬舎に入門し日本・中国の儒学者や哲学者の書を写本、精読した。2度目の遊学の際は備中松山藩家老で藩財政を立て直した儒学者・山田方谷を訪ね心酔し滞在、陽明学や藩政改革の実践を学ぶ。また長崎はじめ各地を廻り、見聞を広めている。

 
 帰国後藩主・牧野忠恭に認められ、京都所司代、老中となった藩主に同行し京都、江戸に赴く。戊辰戦争となり、大政奉還後は重用され、長岡藩家老として、新政府軍との小千谷会談で新政府軍監岩村精一郎との会談に臨むが、決裂し北越戦争に突入する。

 長岡藩は近代的な最新兵器ガトリング砲を有し、北越戦争軍の精鋭として戦うも
兵力差は大きく敗退し、継之助も足に砲弾を浴び、会津に落ちる途中、福島県只見町で
戦死する。享年41歳であった。

河合継之助の記念館は長岡市内と福島県只見町にある。


青木青眠 記
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