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青木周蔵 |
〔あ〕の著名人 | 青山剛昌 | 青木周蔵 |
相田みつを | 浅井慎平 |
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◆〔青木周蔵〕のプロフィール。 |
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青木周蔵は江戸末期天保15年〈1844年〉長州藩〈山口県〉の村医・三浦玄明の長男として生まれ藩校明倫館に学んだのち、長崎で医学修行をし、明治元年(1868年)長州藩の留学生としてドイツに留学する。 渡独後、医学より政治、経済に興味をもち、幾多の困難を克服し、専攻を変更し外務省に入省、明治7年(1874年)に駐独公使となる。 1877年(明治10年)には困難をのりこえドイツ貴族の令嬢エリザベートと結婚した。 1882年〈明治15年〉には伊藤博文の憲法制定調査活動を助け奔走する。 |
1886年(明治19年)からは井上馨外務大臣の外務次官となり条約改正会議に出席、その後も大隈重信外相のもと条約改正交渉の中心人物として活躍した。 1889年〈明治22年〉以降第一次山県内閣、第一次松方内閣で外務大臣をつとめ、条約改正に尽力した。 |
![]() 明治の森、旧青木周蔵別邸の全景
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